その一言で

「『大丈夫ですか?』その一言で、救われる人がいます。」

車内に貼られた痴漢撲滅ポスターを、ぼんやり眺めた。
新宿駅で降りて雑踏をかき分けているうちに、ある記憶が甦った。

「そうだった! 私も、あの一言で救われたんだった!」

大学教授からの性暴力

今から30年程前、私は慶應義塾大学の学生だった。
毎週土曜日のゼミに行く度に、他の大学から招聘されていたO教授の隣の席に座らされた。
数時間続くゼミの間ずっと、太腿をO教授に撫でられ続けていた。

「気持ち悪い」と感じる余裕もなかった。
「やめてください」とも言えなかった。
おとなしかった私は、何か言われても「ありゃ〜」としか言えなかった。
O教授も先輩も、私を「ありゃちゃん」と呼んだ。

ゼミに行くと必ず、先輩達からO教授の隣に座るように促された。
教授は上機嫌だった。
先輩達は、机の下で私が触られ続けていることを知っているようだった。
今思えば、もしかしたら毎年、O教授に触られる役割の学生がいたのかもしれない。

逃げられなかった

しばらくすると、ゼミの前には頭痛や腹痛が起きるようになった。
それでも、学ぶ意欲に燃えていた私は、ゼミに通い続けた。
ゼミの最中、あまりにも頭痛が酷くなり、青い顔をしていたら、O教授から「どうしたの」と聞かれた。
「頭が痛いんです・・・」と答えると、バファリンを渡された。
私は、教授からもらったバファリンを飲んで、ゼミに参加し続けた。

「ありゃはゼミ合宿に水着を着てきなさい」とO教授から指示があった。
私は命令に従ってしまった。
教授に川辺で舐め回すように水着姿を凝視されたときの違和感を、今でも思い出す。

それでも私は、社会学を学びたいと入ったゼミを、大切にし続けてしまった。

その一言に救われた

しかし、ある日、私を救う「その一言」が届いた。
ゼミの同学年のT君が、電話をくれたのだ。

「O先生が、『ありゃをレイプしてやる』って言ってたよ」

初めて電話をくれたT君は、穏やかな真面目な人だった。
T君の言葉に驚いた私は、母に相談し、ゼミに行くのをやめた。

影響はあった

それからの大学生活のことは、よく憶えていない。
慶應大学のある三田周辺をタクシーで通り過ぎるときは、今でも、心がざわついて動悸息切れが始まる。

大学卒業後、会社で働いている時も、男性が怖かった。
男性と交際する気にもなれずに、今まで生きてきた。

心は無傷ではいられなかった。
しかし、T君が、やむに止まれず、O教授の只ならぬ思いを電話で伝えてくれたおかげで、私は教授からのレイプを免れることができたのかもしれない。

会社では、人々が意見を共有できるようにする仕組みや文化をつくる仕事に、20年以上にわたって取り組んできた。

その仕事は辛かった。
どの組織でも、本当のことが広まるのを恐れる人々がいて、にらまれることも多かった。

そんな仕事に取り組んで10年程が経った頃、気付いた。
「そうだ! T君に本当のことを教えてもらえたから、私は、この仕事に、こんなに一生懸命なんだ・・・」

もう大丈夫

今、感じているのは、私はもう、あの頃の私ではないということだ。
トンネルは抜けた。
さあ、これからだ!

2022年6月10日
(6月に書いてから公開するまでに、ひと月もかかってしまった。。。)

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