私のあんみつ

私のレタス

母は普段は全然怖くない人なのですが、2回だけ、私を震え上がらせるほどの気迫で私を叱ったことがあります。

1度めは
5歳の頃、母の手を突然離して長い坂を駆け下りてしまった私をダーッと追いかけて来て、危ない!と叱ったときでした。
安全に気をつけようと思いました。

2度めは、母と2人で行きつけの美容院に行った帰り、お腹が空いてファミレスでドリアを食べたあと、私のあんみつを待っていたときです。

たのしみにしていた私のあんみつが、待てど暮らせど来ない
母は帰ろうと言いましたが、私はあんみつを食べたいばかりにグズグズしていました。

しばらく経って、母は、ものすごい気迫で静かに言いました。
「こんなあんみつみたいなものにこだわっていてはいけない。こんなに待ったんだから、とこだわっていたら、人生失敗するよ」

その後25年くらい経ちましたが、その間、あんみつとは何かを、折に触れて考えてきました。

最近思い至ったのは、私が25年くらいかけて泣きながら取り組んできた「社内での情報共有の促進」という仕事も、あんみつだったのでは、ということです。

いきがかり上たまたま取り組むことになった仕事なのに、「人生の大半のエネルギーを投入したから」「パワハラやセクハラ、不当解雇に裁判と、辛い経験を乗り越えながら必死で続けてきた仕事だから」と考えるようになり、いつしか、「これを失ったら私に何が残るのか、何もないじゃないか」と守りに入っていました。

でも、「そういうこだわりこそ、あんみつだったんだ」と考えたら、ラクになり、幸せに暮らせるようになりました。

幸せの素を会社や仕事に求めるのを、痛い思いを散々した後に、ようやく、やめることができました。

あんみつを手放すまでに、ものすごい時間がかかってしまいました。

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